Japan No War NGO (JNWN) 日本平和市民連盟

戦争により、横たわり、苦しんでいる市⺠を静かに⾒守る事しかできない。迫りつつある戦争を⽬前にして、市⺠の地域と家族における生命の尊厳が失われている。 それぞれの生命が戦争で割かれ分離しても、家族や地域の絆を保つのは市⺠である。他⼈や部外者などから⾒れば、市⺠は微かな存在にすぎないであろう。それぞれの戦争の持つ悲惨な歴史を他⼈や部外者には、共感できない事にもよる。 世界⼤戦の戦争から原爆による終⽌符の犠牲で、市⺠は多くの⾟酸を受けた。戦争の経験による戦争市⺠に悲惨な戦争の記録を授けたい。戦争の荒波を渡る市⺠代弁者として、平和の羅針盤として、多くの平和市⺠の⼼に送りたい。いつの時代も、戦争の加害者と被害者にされるのは市⺠です。JNWNは閲覧と掲載も慎重に留意します(Ref:参照; Blogger:免責; SNS:勧告等)。思い出の戦争は戦争の真の抑⽌⼒となります。 ⽇本から地球に向けて、地球平和市⺠連盟は地球平和を探求します。Japan No War NGO 日本平和市民連盟 @JNWN, May/12/2016 Access 700,000 News 2,877 July/17/2024

2023年10月31日火曜日

日本本土の秋田県で編成された日本軍歩兵第223連隊の約30人が、1944年1月15日にアメリカ軍が上陸したペガン島の塹壕にて切腹して集団自決して玉砕した。

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秋田県で編成された日本軍歩兵第223連隊の約30人が、1944年1月15日にアメリカ軍が上陸したペガン(Pegun)島の塹壕にて切腹して集団自決して玉砕した。切腹者に日本刀で介錯して斬首した頭部が切断されて血まみれに散乱した。  太平洋戦争にて1944年11月15日に、アメリカ軍...
2023年10月30日月曜日

第二次世界大戦末期の東部戦線のベルリンの戦いにて、ソ連軍の赤軍のT-34戦車は、1945年4月26日にドイツ軍兵士の死体や廃墟と化したドイツ軍の防御陣地の横を通り抜けながら、ベルリンに向かって侵攻した。

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第二次世界大戦末期の東部戦線のベルリンの戦いにて、ソ連軍の赤軍のT-34戦車は、1945年4月26日にドイツ軍兵士の死体や廃墟と化したドイツ軍の防御陣地の横を通り抜けながら、ベルリンに向かって侵攻した。ソ連の赤軍がゼーロウ高地を突破した後の1945年春に、ベルリンへ向かう途上の道...
2023年10月29日日曜日

2023年10月5日に、ウクライナのハリコフ州フロザで、地元住民がロシア軍のミサイル攻撃で殺害されて散乱した死体の中で身元確認をした。ヒロザの追悼式のカフェへのロシア軍のミサイル攻撃で51人死亡した。

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2023年10月5日に、ウクライナのハリコフ州フロザ(Hroza)で、地元住民がロシア軍のミサイル攻撃で殺害されて散乱した死体の中で身元確認をした。ヒロザの追悼式のカフェへのロシア軍のミサイル攻撃で51人死亡した。  ウクライナ北東部のヒロザ村にあるカフェと食料品店に、ロシア軍の...
2023年10月28日土曜日

1945年から1950年にかけて撮影された長崎原子爆弾の被爆者の背中を覆ったケロイドである。原子爆弾による被爆者の火傷や傷から、傷跡が厚くなってケロイドと呼称される腫瘍が発生した。

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長崎原子爆弾の被爆者の背中をケロイドが覆った。ケロイドは、瘢痕組織の上に成長する緻密な線維性の増殖である。1945年から1950年にかけて撮影された長崎原子爆弾の被爆者の背中を覆ったケロイドである(日時・場所等不詳)。  原子爆弾による被爆者の火傷や傷から、傷跡が厚くなってケロイ...
2023年10月27日金曜日

太平洋戦争のペリリュー島の戦いで、アメリカ軍が日本軍の95式軽戦車を、火炎放射器で攻撃をした。損傷して、乗組員が焼け焦げて焼死して周囲に散乱した。アメリカ軍兵士が、黒焦げの日本軍兵士の死体を検死した。

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太平洋戦争のペリリュー島の戦い(1944年9月15日から11月27日)にて、アメリカ軍が日本軍の95式軽戦車を、火炎放射器にて攻撃をした。日本軍の95式軽戦車が損傷して、乗組員が火炎放射器で焼け焦げて焼死した死体が、戦車の周囲に散乱した。アメリカ軍兵士が、戦車の側から黒焦げの日本...
2023年10月26日木曜日

第二次世界大戦の東部戦線にて、バルバロッサ作戦初日の1941年6月22日から、ドイツ軍に対してソ連軍は、ブレスト要塞を防衛した。ソ連軍兵士がドイツ軍に殺害されて、機関銃の横に倒れて死体が廃墟に散乱した。

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第二次世界大戦の東部戦線にて、バルバロッサ作戦初日の1941年6月22日から、ドイツ軍に対してソ連軍は、ブレスト(Brest Fortress)要塞を防衛した。ブカレスト要塞の廃墟にて、ソ連軍兵士がドイツ軍に殺害されて、機関銃の横に倒れて、死体が散乱した。  ソ連ベラルーシ西部の...
2023年10月25日水曜日

太平洋戦争のブーゲンビルの戦いにて、日本軍兵士が防毒マスクを持ったままアメリカ軍に殺害された。殺害された日本軍兵士の死体は、ジャングルに倒れて散乱した。

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太平洋戦争のブーゲンビル(Bougainville)の戦いにて、日本軍兵士が防毒マスクを持ったままアメリカ軍に殺害された。殺害された日本軍兵士の死体は、ジャングルに倒れて散乱した。  連合軍と日本軍のブーゲンビル島の戦いは1943年11月1日に勃発して、1945年8月21日に終結...
2023年10月24日火曜日

1922年のロシアのボルガ地方のサマラ市における大飢饉にて、ロシア人が飢えに苦しみ餓死した農民の死体を収集して、荷車でサラマ市の集団墓地まで運搬した。

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1922年のロシアのボルガ地方のサマラ市における大飢饉にて、ロシア人が飢えに苦しみ餓死した農民の死体を収集して、荷車でサラマ市の集団墓地まで運搬した。ロシアの農民の問題が、第一次世界大戦とロシア内戦による秩序崩壊によって餓死者が増大した。  ウラジミール・レーニンが率いたボリシェ...
2023年10月23日月曜日

ガザ中心部のアル・アフリ・アラブ(al-Ahli Arab)病院への空爆で死亡したパレスチナ人の死体が、シファ病院に搬送された後、死体の周りにパレスチナ人が集まり、医療関係者や市民らが白い袋や毛布で死体を収容した。

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ガザ中心部のアル・アフリ・アラブ(al-Ahli Arab)病院への空爆で死亡したパレスチナ人の死体が、シファ(Shifa)病院に搬送された後、死体の周りにパレスチナ人が集まった。医療関係者や市民らが、白い袋や毛布で死体を収容した。その病院の中庭には血痕と複数の放火された車が散乱...
2023年10月22日日曜日

ウクライナ東部のハリコフの都市中心部で、2023年10月6日にロシア軍のミサイルが雑居ビルに突撃して、10歳の少年が殺害された。救急隊員が、10歳の少年の死体を収容した。

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2023年10月6日に、ウクライナ東部のハリコフでのロシア軍のミサイル攻撃で10歳の少年と祖母が死亡した。ハリコフの都市の中心部で、ロシア軍のミサイル攻撃が雑居ビルに突撃して、10歳の少年が殺害された。救急隊員が、10歳の少年の死体を収容した。  ウクライナ北東部の都市ハリコフで...
2023年10月21日土曜日

1945年10月初旬に広島市内の生存者の住民は整地された道路を、廃墟を二分するように彷徨った。約2カ月前に広島市に投下されて炸裂した原子爆弾によって瓦礫の山と化した。

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1945年10月初旬に広島市内の生存者の住民は整地された道路を、 廃墟を二分するように 彷徨った。約2カ月前に広島市に投下されて炸裂した原子爆弾によって瓦礫の山と化した。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、同年12月までに約9から約12万人が死亡したとされる。その約半数...
2023年10月20日金曜日

第二次世界大戦にて1943年11月18日に、アメリカ軍の第8空軍による空襲で、ノルウェーの首都オスロ近郊のドイツ軍のキェラー飛行場に向けて上空から爆弾を落下した。

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第二次世界大戦にて1943年11月18日に、アメリカ軍の第8空軍による空襲で、ノルウェーの首都オスロ近郊のドイツ軍のキェラー(Kjeller)飛行場に向けて上空から爆弾を落下した。  爆撃の元となった攻撃は、1943年11月18日、イギリスのノーフォークを拠点とするアメリカ軍の第...
2023年10月19日木曜日

アメリカ軍信号体の兵士たちが、オーストリアのグーゼン強制収容所を1945年5月5日に解放した後に、5月12日にバラックの外で死亡した囚人の死体を撮影した。

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オーストリアのリンツ近郊にあるグーゼン強制収容所は、アメリカ第3軍第11装甲師団の部隊によって1945年5月5日に解放された。長引く死、過酷な労働、獣姦、大量絶滅の強制収容所であった。グーゼン強制収容所で殺された捕虜の総数、収容されていた最大人数は、開放時には不詳であった。194...
2023年10月18日水曜日

コロ島を出港したその夜から、絶命して息をひきとる満州からの引揚者があいついだ。死体は、毛布やコモでつつまれて、みんなに見守られるながら、引揚船の後部から海に降ろされて、水葬にされた。

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日本の博多港を間近にして、父親が亡くなった。残された二人の子供とともに、母親は父親の死体が沈んだ海面をいつまでも見つめつづけた。毛布にくるまれた父親の死体が海に投げ込まれて消えた。「どうぞ安らかに」と引揚者のみんなが合掌した。  ここまで来たのに。コロ島を出港したその夜から、安心...
2023年10月17日火曜日

ドイツ軍は1943年9月23日にソ連のウクライナ北東部のポルタヴァから撤退する際に、ポルタヴァ市民を生きたまま焼死させる焚刑を執行した。黒焦げになった数十人のポルタヴァ市民の死体が、路上に積み上げられた。

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第二次世界大戦の東部戦線にて、ドイツ軍は1943年9月23日にソ連のウクライナ地方北東部のポルタヴァ(Poltava)から撤退する際に、ポルタヴァ市民を生きたまま焼死させる焚刑を執行した。黒焦げになった数十人のポルタワ市民の死体が、路上に積み上げられた。焼け焦げの死体を、ポルタヴ...
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